「人の名前を呼べない」という繊細な悩みと向き合う。その理由や対策は?
突然ですが、人の名前が呼べないという悩みがある方はいますか?
おそらくこの質問を聞いた人の多くは、意味がわからないと思うかもしれません。
でも実際、私は名前を呼べない相手がいます。
これは何かの病気?
今まではあまり気にせず過ごしてきましたが、うつになったことを機にこの件について考えてみました。
人の名前が呼べないとは?
そもそも名前が呼べないってどういうこと?
じゃあどうやってコミュニケーションとるの?
と言いたくなりますよね。
名前を呼べないとは言葉の通りで、相手に何か用がある時も名前を呼ばずに過ごすのです。
「ねぇ」とか「あのさぁ」などの名前が出ない呼び方をしたり、名前を出さない言葉並びにして話をしたりします。
普通に名前を呼べる人からすると、そんな人本当にいるの?と疑いたくなるでしょう。
では、私の場合の実例を紹介していきます。
私の発端は小中学生の頃から
思い返せば、私は小学生の頃から名前を呼べない友達が一定数いました。
小学生低学年時はそこまででしたが、高学年になるにつれて顕著になってきました。
特に中学生はそのことで1番悩んだと記憶しています。
今の私からすると、自分はそれなりに人と関われるつもりでしたが、実は根本がコミュ障だったのかもしれません。
仲良い友達の名前、あだ名が呼べない
幸いにも、名前が呼べないからといっていじめや仲間外れはありませんでした。
仲良くしてくれる友達はいて、部活も楽しくやれていました。
でも、いつも遊んでいる友達の中に名前を呼んだことがない人はいました。
中でも「けんちゃん」とか「こうちゃん」とか、よくあるあだ名が苦手でした。
自分のことも呼べなかった
私が呼べなかったのは周りだけではないです。
中学生まで、自分のことを「俺」とも「僕」とも言えませんでした。
「俺」は調子に乗っていると思われないか、
「僕」はなよなよしく思われないかということを気にしてたのかもしれません。
これは高校に入ったタイミングで意識的に「俺」と言うようにしたことで改善されました。
特に異性の名前を呼ぶハードルが高い
友達とはまだ何とか関係を築けましたが、異性の名前を呼ぶのは特に難しかったです。
また幸いにも、小中高校と私に話しかけてくれる女子は少しいましたが、名前を呼べる女子はゼロで関係が深まりませんでした。
恥ずかしいのか照れなのかはわかりません。
この性格もあって、ちゃんと彼女ができたのは大学生になってからでした。
現在、妻の名前も呼べていない
大学生になって以降、一般的な恋愛や恋人ができるようにはなりました。
ただ、その時の彼女に「あんまり名前で呼ばないよね」と言われたことはあります。
そして色々な付き合いを経て、これまた幸いにも今の妻と結婚することができました。
付き合いたての頃は頑張って下の名前で呼んでみたのですが、自然となくなっていきました。
今は、全く名前を呼んでいません。
妻は気にしているかもしれませんが、僕に何か言ってくることはありません。
もはやそういう人だと受け入れられているのかもしれませんね。
名前を呼べない理由はなぜか
ここまでの話に共感できる人、ほとんどいないのではないでしょうか?
(共感できる人いたら逆に教えてほしいです)
では、私は何で人の名前が呼べないんだろう。
自分なりにどんな理由かを考えてみました。
相手や周りを気にしすぎている
まず1番の大きな理由は、相手や周りの人がどう思うかを気にしていることだと思います。
「○○ちゃんと呼んだら馴れ馴れしいかな」
「呼び捨てだと嫌われないかな」
「自分を俺って言うと生意気かな」
多分相手も周りも、どう呼ばれようかあまり気にしていないでしょう。
でも自分は周りばかり気にして不安になり、名前を呼ぶのを躊躇し続けてしまう。
そうするとどんどん初呼びのタイミングを逃し、次第に呼ぼうともしなくなるのです。
初めて名前を呼ぶ一瞬の違和感を嫌う
どんな人でも、関わりが浅い時に初めて名前を呼ぶと多少の違和感を覚えないでしょうか。
だから、「○○ちゃんって呼んでいい?」とか「周りに何で呼ばれてる?」と確認しておく人もいると思います。
呼ぶ側も呼ばれる側も未経験なので、最初は双方に違和感が出ても仕方ないかもしれません。
ただ、私の場合その一瞬の違和感がどうも気持ち悪くなります。
相手との関係性にすごく敏感なので、その違和感を嫌うため相手の名前を呼ぶことを避けがちになるのかもしれません。
他にも細かい理由はありますが、この2つが最も影響していると感じます。
名前を呼べないのは改善できる?
私は人の名前が呼べないことを何とか改善したいと思い、自分なりに色々試してみました。
環境が変わったタイミング(高校→大学など、自分も相手も知らない人ばかりの状況)で、意識的に自分から名前を呼んでみたり。
彼女には自分からあだ名をつけにいったり。
(○○って言っちゃおうかなー。的な)
ただ、自分にとって人の名前を呼べるように改善することはかなり労力がいりました。
結果的に、社会人になっても妻をはじめ名前を呼べない人はやっぱり出てきています。
マシにはなりましたが、完璧にはできません。
ただ、改善しようとする中で、できなくても意識したいことがありました。
それは、名前を呼べずとも人を想いやること。
気付いたら出来上がっていた、名前を呼べないという自分の性質を変えるのは難しいです。
でも、相手のことを考える気持ちがあれば、名前を呼べなくても良い関係性の構築に繋がる。
そう思えました。
生きづらい「名前呼べない病」
勝手に「病」と付けましたが、改めて振り返ると自分自身すごく生きづらいと感じました。
普通に名前を呼べる人は全く気にしないことに対して、色々気にして考えてしまう。
そして名前を呼べないという事実に対して、また色々と考えてしまう。
何だか堂々巡りな気もします。
私は今回、うつになってから自分のことを色々考えるようになりました。
ここ近年ずっと仕事も休みも充実していて、自分がうつになるとは思ってもいませんでした。
でも振り返ると、名前一つでこれだけ色々気にしてしまう辺り、うつになる要素を持ってたような気がしています。
その要素とは、繊細で相手との関係性を敏感に捉え、そして不安になる。
人の名前を呼べないという悩みは、HSP(繊細な人)とか不安症とかに関連していて、そこからうつや適応障害等の精神疾患に繋がりやすいのではないかと思いました。
正確な根拠はないので、勝手な意見程度ですが。(詳しい人いたらご教示ください)
それでも生きていけなくはない
名前が呼べないことに対して色々と考えてきました。
確かに生きづらいし、しんどいです。
でも、生きていくことはできます。
私ですら妻と結婚ができて、人並みの幸せを感じています。
学生時代の友達とは、今も付き合いがあります。
今はうつになりましたが、一時期でも仕事が楽しい、毎日充実していると思えました。
全て、私が名前を呼べてない人達も含めた周りのおかげ。
名前が呼べないからといって、人生が終わる訳ではありません。
もし仮に名前を呼べないことで、私と同じような悩みや困り事がある人がいたら−。
しんどいけど、おそらく大丈夫です。
周りを想いやる気持ちさえ持てば、自分を必要としてくれる人たちはきっと近くにいてくれると思います。