Restudy Life

うつを機に、人生学び直し。参考書と向き合う資格勉強、自分と向き合う人生勉強を綴ります

人の見る目を養うための方法とは?「肩書き」は1度疑ってみる!

みなさん仕事をする上で、なるべくなら良い人と関わりたいと思いませんか?

曖昧な問いかけですが笑

 

人は社会の中で誰かと共存して過ごしていますので、良いことも悪いことも必ず周囲の影響を受けますよね。

そこで誰と関わるかという判断が、その人の人生を左右すると言っても過言ではありません。

 

つまり、良い生活を送るためには、人を見る目を養うことが重要なのです。

特に仕事において、人を見る目のポイントの1つが「肩書き」に惑わされない、こだわらないことです。

 

 

 

「肩書き」はその人の表面しかわからない

みなさんは「肩書き」についてどう思いますか?

もしくは、「肩書き」がある人に対してどういう印象を持ちますか?

捉え方は人それぞれと思いますが、何となく良いイメージが湧きませんか。

 

「部長さんなんだ。言うこと聞かないと。」

「この資格持ってるんだ!凄い!なら信用できるかな」

「あの大学出てるの?優秀だね!」

 

私もこう考えがちでした。

 

…。でも待ってください。

それって本当にそうでしょうか。

 

みなさんがここで判断したのは、「部長」「資格」「大学」です。

「その人自身」の評価は、まだこの時点ではわかりませんよね。

これらの「肩書き」だけでは、その人の表面しか見えてきません。

 

「肩書き」の価値は、中身が伴っているかどうかで変わる

そもそも「肩書き」とは、一般的に名刺などによく記載されている職名や地位などのことを言います。

もしくは、社会的身分を表すような役職・資格・学歴のことも含まれます。

 

この「肩書き」を手に入れるためには、何かしらの努力や結果が必要なのは間違いありません。

良い学歴のためにはたくさん勉強が必要です。

高い役職につくためには、仕事での結果が必要です。

世間的な地位を得るためには、尊敬される人間力もいるでしょう。

 

そして、自分の努力や結果を最もわかりやすく、簡単に周囲へ伝えられる手段が「肩書き」と言えます。

 

でも、本当に見るべきなのは「肩書き」に中身が伴っているかどうかです。

その中身によって、「肩書き」の価値が変わると私は思います。

中身とは何かというと、肩書きの前後にある「過程」と「結果」、そして今の「行動」です。

次から具体的な話をしてみましょう。

 

「肩書き」よりも見るべき3つの中身

1.過程  〜肩書きが目的マン〜

実は私、ある国家資格を取得するため仕事をしながら講座に通っていたことがあります。

同じ受講生と関わる機会も多く、その会話の流れの中で「なぜこの資格を取ろうと思ったのか?」という動機の話をよくしました。

そこで、1人の人がこんなことを言っていました。

「私は、会社から言われてこの講座に来ているだけです。資格はないよりある方が良いですし、何かあったら履歴書にも書けますし。」

 

その人の動機は、会社から言われたから来たというやらされ感であり、資格という肩書きを取ることが目的でした。

そこで得た知識をどう仕事に繋げるかという考えはありませんでした。

その人が結果的に合格したかは不明ですが、仮に合格したとしても

「え、なんか同じ資格保持者として扱われるのは少し嫌だな」

と感じたことを覚えています。

 

2.結果  〜肩書きとは真逆の結果マン〜

肩書きも、結果が出ていないと説得力がありません。

例えば

・貧乏なファイナンシャルプランナー

・転職に失敗し続けたキャリアコンサルタント

・業務管理やマネジメントができない部長

これらの人の言うことを聞きたいと思いますか?

肩書きはあるのに、真逆の結果だと価値も半減して思えませんか

 

私の会社では、昇格したいために専務や常務とゴルフに行く、飲み会ではピッタリ横に付いている、まさに役員の金魚のフン状態の課長がいました。

しかし、肝心の業務は部下に丸投げです。

部下が一生懸命出した結果を、上に報告するというオイシイ場面でしか動きません。

当然、部下からの信頼はありません。

 

でも、そういった姿はどこからか上層部にも伝わります。

その課長は、自分が主となって業務で結果を出し、自分が成長しない限りは、きっと昇格することはないでしょう。

 

3.行動  〜肩書きの役割知らないマン〜

何より、肩書きを得た後の行動こそ、その人を判断する上で重要です。

それまでにどれだけ努力したとしても、肩書きがついた後の行動によってその印象は180度変わります

・入学後の勉強意欲が低い高学歴学生

・役職がついた途端に高圧的になる人

・保有資格ばかりアピールしてくる人

などです。

高学歴の価値は、入学したことだけではなくその学力レベルの知識を備えた言動ができることです。

これは資格も同じですね。

また部長に昇格したからといって、次の日からいきなり部長の能力が付くわけでもありませんよね。

肩書きが付くことをゴールにしている、満足していると、その役割を見失ってしまう人もいます。

 

とまあ色々と意見を述べましたが、もちろん「肩書き」に見合うような素晴らしい方もたくさんいます。

むしろそちらの方が多いと思います。(個人的な感覚では、7割くらい)

ただ、肩書きにこだわる社会人と、肩書きをアピールすれば良いと思っている学生にもたくさん出会ってきたので、今回ここに綴ってみました。

選考が始まると、バイトリーダーとゼミ長とサークル副部長の学生ばかりです。

○○のプロが〜という自己紹介をする人もいますが、どこがどうプロなのかを聞いてみたいです。笑

 

本当に必要な視点は、誰が言ったかではなく誰かのためになるか

個人的には、採用選考や面接官をする時、学歴や資格、役職だけを見ることはありません。

(ないと業務ができない専門資格は別)

自分より上の役職者(役員クラス)の意向であっても、疑問に感じたら食い付いて質問します。

(もしかしたら厄介な奴だと思われているかもしれません…笑)

そのかわり、一般職員であっても本当に良いと思う意見や提案は全部受け入れます。

私のように凝り固まった頭のおじさんより、若い柔軟な人の方が良い意見が出ることもよくあります。笑

 

必要な視点は、肩書きを含めて誰が言ったかという判断ではなく、それが本当に社会のため、組織のため、誰かのためになるかどうかです。

 

社会や組織のため、誰かのためになること考えて動く人に対して、悪く言う人はほとんどいないでしょう。

意見を言われることはあっても、強く否定されることはないと思います。

(いたとしても、それは私利私欲が絡んでいる人ですね。)

 

まとめ

人を見る目を養いたいなら、「肩書き」だけではなくその中身(過程・結果・行動)に目を向けてください。

逆に見る目のある人に評価されたいなら、「肩書き」ばかりアピールするのはやめましょう。

それは見る目を養うと同時に、自分の考えを持つことにも繋がるので一石二鳥です。

あくまで人を判断するポイントの1つとして、「肩書き」をまず疑ってみてくださいね。

 

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